九年

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【原文】

 九年冬十月、淮南王・梁王・趙王・楚王朝未央宮、置酒前殿。上奉玉卮為太上皇壽、曰「始大人常以臣亡賴、不能治產業、不如仲力。今某之業所就孰與仲多。」殿上羣臣皆稱萬歲、大笑為樂。 

 十一月、徙齊楚大族昭氏・屈氏・景氏・懷氏・田氏五姓關中、與利田宅。十二月、行如雒陽。 

 貫高等謀逆發覺、逮捕高等、并捕趙王敖下獄。詔敢有隨王、罪三族。郎中田叔・孟舒等十人自髠鉗為王家奴、從王就獄。王實不知其謀。春正月、廢趙王敖為宣平侯。徙代王如意為趙王、王趙國。丙寅、前有罪殊死以下、皆赦之。 

 二月、行自雒陽至。賢趙臣田叔・孟舒等十人、召見與語、漢廷臣無能出其右者。上說、盡拜為郡守・諸侯相。 

 夏六月乙未晦、日有食之。

 

【訓読】

 九年冬十月、淮南王・梁王・趙王・楚王 未央宮に朝し、前殿に置酒す。上 玉卮を奉り太上皇の壽を為して、曰く「始め大人 常に以(おもへ)らく臣 亡賴にして、產業を治めること能はず、仲の力に如かずと。今某(それがし)の業の就す所は仲の多なるに孰與(いず)れぞ。」と。殿上の羣臣 皆 萬歲を稱え、大笑して樂を為す。 

 十一月、齊楚の大族昭氏・屈氏・景氏・懷氏・田氏の五姓を關中に徙し、利(よ)き田宅を與う。十二月、行きて雒陽に如く。

 貫高等の謀逆 發覺して、高等を逮捕し、并せて趙王敖を捕えて獄に下す。詔すらく敢えて王に隨うもの有らば、三族を罪せんと。郎中の田叔・孟舒等十人 自ら髠鉗(こんけん)して王の家奴と為り、王に從いて獄に就く。王 實に其の謀を知らず。春正月、趙王敖を廢し宣平侯と為す。代王如意を徙して趙王と為し、趙國に王とす。丙寅(へいいん)、前に罪有りて殊死以下なれば、皆 之を赦す。 

 二月、行きて雒陽自り至る。趙臣の田叔・孟舒等十人を賢とし、召見して與に語るに、漢の廷臣 能く其の右に出る者無し。上 說びて、盡く拜して郡守・諸侯相と為す。 

 夏六月乙未(いつび)の晦、日に之を食する有り。

 

【訳文】

 九年の冬十月、淮南王・梁王・趙王・楚王が未央宮に参内し、(高祖は)前殿で酒宴をひらいた。高祖は玉の盃を捧げ持って太上皇の長命を祝して、言った「以前 太上皇は私がまともな仕事に就かず、生業を治めることができず、(次兄の)劉仲に及ばないと常々思っていた。今はその某が成し遂げた事業と劉仲の功とではどちらが優れているだろうか。」と。殿上の群臣は皆万歳をとなえ、大いに笑って、楽しんだ。 

 十一月、齊楚の大族である昭氏・屈氏・景氏・懷氏・田氏の五姓を關中に移し、利便性のある田宅を与えた。十二月、(高祖は)洛陽へ行った。 

 (趙の)貫高等の謀反が発覚し、高等を逮捕し、いっしょに趙王敖を捕らえて獄に下した。(そして)詔して言った 敢えて趙王敖についてゆく者があれば、三族に罰を加えると。(すると)郎中の田叔・孟舒等十人は自ら頭髪を剃り、鉄枷を首にして王の奴僕となり、王に従って獄に就いた。趙王敖は実際にその謀反については知らなかった。(そのため)春正月、趙王敖を廢して宣平侯とした。また、代王の如意を移して趙王とし、趙国の王とした。丙寅、以前に罪があって死刑以下の者であれば、皆赦免した。 

 二月、洛陽より長安に至る。(高祖は)趙臣の田叔・孟舒等十人を優れた人物として、召し出し相見えて語り合ったところ、漢の朝臣に彼らの右に出る者がいなかった。高祖は悦び、彼ら全てを郡守や諸侯相とした。 

 夏六月乙未の晦、日食があった。

 

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※このページの翻訳は下記発表者のレジュメによってなされたものです。

2017,9,10(発表者 すぐろ)