八年

 

七年へ≪ 翻訳実績 ≫九年

 

【原文】

 八年冬、上東擊韓信餘寇於東垣。還過趙、趙相貫高等恥上不禮其王、陰謀欲弑上。上欲宿、心動、問「縣名何」曰「柏人。」上曰「柏人者、迫於人也。」去弗宿。 

 十一月、令士卒從軍死者為槥、歸其縣、縣給衣衾棺葬具、祠以少牢、長吏視葬。十二月、行自東垣至。 

 春三月、行如雒陽。令吏卒從軍至平城及守城邑者皆復終身勿事。爵非公乘以上毋得冠 

劉氏冠。賈人毋得衣錦繡綺縠絺紵□、操兵、乘、騎馬。 

 秋八月、吏有罪未發覺者、赦之。九月、行自雒陽至、淮南王・梁王・趙王・楚王皆從。

 

【訓読】

 八年冬、上 東のかた韓信の餘寇を東垣に擊つ。還りて趙を過(よ)ぎるや、趙相の貫高等 上の其の王に禮せざるを恥じ、陰(ひそ)かに謀りて上を弑せんと欲す。上 宿らんと欲すも、心動き、問うらく「縣名何ぞや」と。曰く「柏人なり」と。上 曰く「柏人は、人に迫るなり」と。去りて宿らず。 

 十一月、士卒の從軍して死せる者をして槥(えい)を為り、其の縣に歸らしめ、縣をして衣衾・棺・葬具を給し、祠るに少牢を以てせしめ、長吏をして葬を視(み)しむ。十二月、行きて東垣より至る。 

 春三月、行きて雒陽に如く。吏卒の從軍して平城に至りて及び城邑を守りし者をして皆な復して終身事うこと勿からしむ。爵の公乘以上に非ざるものをして劉氏冠を冠(かぶ)るを得ること毋からしむ。賈人をして錦繡・綺縠(きこく)・絺(ち)・紵(ちょ)・ □(けい)を衣(き)、兵を操(と)り、乘り、馬に騎(の)るを得ること毋からしむ。 

 秋八月、吏の罪有りて未だ發覺せざる者、之を赦す。九月、行きて雒陽より至り、淮南王・梁王・趙王・楚王 皆從う。

 

【訳文】

 八年冬、高祖は東のかた韓王信の残党を東垣の地で打ち破った。帰還して趙を通りがかると、趙相の貫高らは高祖が趙王に礼を為さないのを恥じて、ひそかに謀りて高祖を弑殺しようとした。高祖はその地で宿ろうとしたが、ふと心が動き、問うた。「ここの県名は何と言うのか」と。問われた者が答えるには「柏人でございます」と。高祖は言った。「『柏人』は、『人に迫る』ことに通ずる」と。高祖は柏人に宿らずに去った。 

 十一月、従軍して死んだ士卒たちのために簡易なな棺を作り、それぞれの県に遺体を帰させ、それぞれの県に衣衾・棺・葬具を支給させ、羊と豚を生贄に祀らせ、長吏に命じて葬を執り行わせた。十二月、高祖は発って東垣から都の長安に到着した。 

 春三月、高祖は出かけて雒陽に赴いた。吏卒のうちで(匈奴と韓王信の討伐に)平城まで従軍し、周囲の城邑を堅守した者をみな徭役を生涯を通じて免除させることとした。さらに、爵の公乗以上でないものに劉氏冠をかぶることを許さないこととした。また、賈人には錦繡(色のついた鮮やかなあやぎぬ)・綺縠(文様の細かいあやぎぬ)・絺(葛糸で織ったきめの細かい布)・紵(カラムシで織った目の粗い布)・□(毛織物の一種)を着ること、武器を取ること、車に乗ること、馬に乗ることを許さないこととした。 

 秋八月、官吏の中で発覚していない罪を犯している者を赦免した。九月、洛陽から長安に至り、淮南王・梁王・趙王・楚王は皆高祖に随行した。

 

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◇◆レジュメ(バックナンバー)◆◇

※このページの翻訳は下記発表者のレジュメによってなされたものです。

2017,8,27(発表者 董卓(護倭中郎将)) 

2017,9,10(発表者 すぐろ)